ギャルとぶりっこ | ぼやき。

ギャルとぶりっこ

いや〜〜ずっと修羅場ですわ、、
異動先がなかなかのブラックで、やこ様には負けるけどだいぶ残業してます。
やばやば。
そんで、困ったことに修羅場になると修羅になってしまうのですよね。。悪癖がなかなか治らん。。
修羅場の中でも、人の心は無くさずにいたい。精進精進…。
しかし、来月こそは残業を倒す!!

仕事と関係ないこと考えたいので、どうでもいい考え事をひとつ。
ぶりっ子ってなんだと思います?
昔から、わりとぶりっ子扱いされてきたので、実はぶりっ子という言葉にはけっこう過敏なんですよね。
ぶりっ子というのは略語であって、おそらく正確には「かわいい子ぶっている」、つまり「かわいい子のふりをしている」ということですよね。
このかわいい子の定義は人によって違うとして、「自分を他人に可愛く見せようとしている人」ということになるんだろうか?
単純に「かわいい」ではないので、その振る舞いが作為的だと見え透いているとか或いは作られた可愛さと揶揄したいとかそういう場合に「ぶりっ子」扱いになるのかな。
まあ、でも「〜のふりをする」っていう用法っていっぱいあるじゃないですか。
知らないふりをする。知ったかぶりをする。死んだふりをする。嘘泣きとか空元気とかそういうのもこの枠かな?
根底の気持ちはどうあれ、人はある程度、日々の言動を繕って生きている。その方が、他人と社会とぶつからずに済むからです。まあ、死んだふりは熊と会ったときかもしれないけど。笑
ぶりっ子というのは、それが嘘っぽい、本物っぽくない言動をしている人を指す言葉なのかな。

反面、ギャルってどうなのかなと思ったんですよね。
最近マツコさんの番組でギャル特集をやってましてね、彼女らの生き方って、すごく自分の気持ちに素直だなぁと思いまして。
その場合のなかで、ひとりのギャルが、大きなものに忖度せずに自分を貫くのがギャルだとおっしゃっておりまして。
なるほどな、と思った次第で。
ギャルとは、メイクやファッションの派手さ、系統ではなく、マインドなんですね。
そう考えると、彼女たちの生き方というのは、社会に対して、他人に対して、自分を曲げず貫くことなのだな、と。
そう考えるとギャルとぶりっ子ってもしかしてわりと対照的な位置にあるのでは、と思ったのです。
大雑把に言えば、社会で生きやすいように自分を繕うのがぶりっ子ならば、社会に忖度せず、自分に正直に生きるのがギャルなのかな。
であれば、やはり私は、ぶりっ子寄りかもしれない。ギャルの言動を描こうとするとだいぶ苦労するのは、やっぱりギャルの素養がないからかもしれません。笑
自分に正直には生きているつもりですが、忖度関係なしにはいられないし、多少は人の顔色も伺わざるを得ない。
とは言っても、ごく普通の本音と建前以上のことをやってるつもりはありませんしねぇ。
それで得をしたことはないし。
前にもこんな議題を扱いましたが、それは裏表ではなく、氷山の一角なのです。
まあ、どうでもいい話でした。笑
その人の為人なんて、ある程度付き合っていれば自ずと見えてくる。全部を正直に生きてる人なんてほとんどいないでしょうし、全部を偽ることができる人もほとんどいないでしょう。
ギャルとかぶりっ子とかいろいろ言いましたが、要は配分の問題です。
つまりは、もしかして、もうちょっと本心を出せと言われてるのかしら。
そんな風に考えたりしつつ、うとうとするのでした。

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