自室が異様に集中できる件 | ぼやき。

自室が異様に集中できる件

そうだよな、考えてみりゃこの部屋で12時間勉強漬け期間過ごしてたんだもんな。
家族が寝静まった夜に、雨や風の音、時計の音だけをお供に、あったかい紅茶を飲みながら小説や漫画を書くの、好きだったなぁ。
漫画は特にだけど、昼間だと見られるかもしれないっていう緊張感みたいなのがあって、その分夜は安心してた。穏やかなひとりの時間ってけっこう好きです。
まぁそうして小さい頃に書きためたモノを今見ると灰にしたくなりますがね(笑)少女マンガとかほんと死ねる。拷問に使われたら一撃で吐くわ。実際ほとんど葬っちゃったなー。今考えると羞恥心で死にたくなっても残しておく価値があったかも。厨2ってすごく多感な時代だったから、いろいろ降ってきたもんな。今じゃこうはいかないぜ。

それにしても自分の効率の悪さが笑えます。自分が何をしたいのか、何を書きたいのか、明確な形を掴んでいることってほとんどない。指の赴くまま書いて書いて書いて、それで全部読んでから、ああなるほどここが力点だったのかと納得する。それでまた書き直す。最初に構成を組み立てること、意識的に文章の手綱を握りきることがどうしてもできない。それができるならわざわざ文章にしたりしないのかも。自分が何を考えて何を叫びたいのか、形を掴みたくて必死にもがいて文章書くのかもしれないです。そういう意味じゃ自己探求の一環なのかも。やだ静信みたい(笑)

私はどうも「これがしたい」とか「これを考えたい」とかそういう自分の要求がわかっていない気がする。基本的に「えー、別になんでもいいよぉ」で済ましている気がするんですよね。おいしいご飯が食べられれば嬉しい。かわいい服が着られれば嬉しい。でも考えてみるとそれは別になくても構わないのかなと思ったりするときがある。服は確かに見苦しくない程度には整えたいけど、よくよく考えるとその基準って「側にいて人が不快にならない」程度なのかも。食事もひとりなら生命の維持ができる程度で構わなくなってしまうし、嫌いなもの以外なら一緒にいる人の好みで構わないというふうに、人に選択を投げてしまっていることが多い。つまりはそれだけ私の生き方は他人に依存してるってことなんだろーな。
でもだからといって全部を他人に投げてるわけじゃないし。譲れない芯のようなものは、ちゃんと握ってると思う。それは多分一生変わらないし、生涯きっと曲げずに貫く。
うーんしかし自己主張をする部分が盛大に偏ってるのは事実なわけで。どっちでもいいよーってなる部分が多いのも事実なわけで。大変だ私が無気力症だ。根がナマケモノだからしかたないんだけどさ。ジャングルでのんびりと一日中木にぶらさがっていたいけどさ。でも人間に生まれちゃったからねぇ。
なんかもうちょっと色んなことに執着したいですね。人の目を気にすることなく、主張したくなることがいっぱい増えたらいい。きっと楽しいと思う。
とりあえず料理でも覚えて舌鍛えようかな。死活問題だし、とっかかりやすそうだし。おばーちゃんに習うか。

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