足跡を辿る | ぼやき。

足跡を辿る

私は読書家ではない。

ファンタジーは大好きだが、本を読むことは元々そう好きではなかったのだと思う。
本好きな両親から生まれ、本を読む子供が好きな祖母に育てられた私にとって、たぶん読書は自主的にする宿題のようなものだった。
「これだけ読んだよ!次の買ってよ!」そう言えば、ウチの家族はみんな嬉しそうだったからだ。褒められるのが嬉しくて、難解な漢字を読み、辞書のような本を積み上げ、ひたすら活字を追った日々。ムーミンシリーズのあの果てしない道のり。ドリトル先生の終わらない長さ。『シートン動物記』やら『ファーブル昆虫記』までいくと、もはや内容など根こそぎ覚えていない。

そんなだから、『長靴下のピッピ』に出会うまで、私にとっての読書は努力行為であり、娯楽ではなかったのである。
今考えると実にくだらないことだが、子供がブラックコーヒーを飲んでおいしいと背伸びをするようなもので、要するに年齢に適した作品を読んでいなかったのだろう。というか小学生に『星の王子様』なんぞ読ませてどうする。小学生なんて『エルマーのぼうけん』とか『いやいやえん』とか『ぼくは王様』くらいで充分だ。
かくして小学校中学年くらいで、私は読書が楽しいものだと知った。正確に言うならば、「楽しいときもある」ということを知ったのだ。
基本的に読書は自分との戦いである。
ちょっと持久走に似ているかもしれない。
余裕があるときは、空気がおいしいだの景色がきれいだの足の筋肉が動く感触が楽しいだのいろいろ味わえて楽しめるが、一度疲れてやる気をなくすともう苦痛でしかないのである。
私は執念深い割に飽き性でもあるから、淡々とした抑揚のない物語なんて読んでいられない。延々と同じトラックを走るより、落とし穴に落ちたり空を飛んだり恐竜がつっこんできたりしなくちゃ嫌だ。スリルがなきゃつまらない。
‥‥かくして中学生時代、小野不由美にどっぷりハマり、そうして推理小説ジャンルに浸かることになるのだが。
今はもう大人ですから、ある程度はゆるやかな話だって楽しめるようになりましたけどね。

このように、読書を楽しんだ時間も、根性で読み切った時間も、全てが集約された空間とはなかなかに感慨深いものだ。
その本のひとつひとつに思い出が詰まっている。
あーこれめちゃくちゃつまんなくて死にそうになりながら読んだなーとか、あーこれは朝読書で二週したな、とか。
ゲームのメモリーカードを眺めるのもいいが、こうやってやたらかさばるアナログの物質が積み上がっているのもまた一興。実に気持ちがいい。こみあげるのは、達成感だ。
おぉ、よく読んだなぁ〜‥という。

そうして、こういう楽しみ方をしている時点で、やっぱり私は読書家ではないなぁ、と再確認するのであった。

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