Falling Down | ぼやき。

Falling Down

ようやく3章観てきました。
正直2章の映画の描き方にちょっと違和感を覚えてたので、3章どうなるかなぁ、と思ってました。
結論ーー悪くはない。
悪くはないけど、すごいよかった!!とは言えなかったなー。
尺の使い方が勿体無い。
秋は一応物語の”転”にあたるわけで、おいしい泣かせどころもいっぱいあるのに、ちょっと望月くんと主人公のほのぼのパートに尺取りすぎで、大事な部分が余韻ほぼ無し。すごく淡々としてしまってる気がする。そこはもっとゆっくりやろうよ…。理事長とお父様のシーンはもっと大事にしようよ…。誰も得しないけどさ…。
まぁ、望月くんと主人公の組み合わせは、当時の大きいお姉さま方の最大手でもありましたし、ファンサービス的な意味で仕方ない所もあるでしょうけど。
そのせいかほのぼのパートは可愛かったです。望月→主人公を後ろから追跡するアイギスという図式も理想的でしたし、修学旅行も原作より楽しそうでしたし。
あと残すは12月と1月。たった2ヶ月。ラストはどうなるかなぁー。


通章のネタバレしますが、違和感の話を書いとくと、
一章では「何もかもがひたすらどーでもいい→仲間大事だ」と変化した主人公が、二章で「仲間大事だしこの時間が楽しい→終わってほしくない」に変化する。
で、その終わってほしくない気持ちが主人公の行動を鈍らせ、パーティの足を引っ張り、結果的に荒垣救助に間に合わなかった。
荒垣の死の責任が主人公にのしかかってきちゃうわけです。
だから、三章は、「俺のせいだ、もうこんな想いをするのは嫌だ、これ以上入れ込みすぎず、大事なものを増やさないようにしよう」→「失っても絆は残る、大事なものがあるから戦える、絆から目を背けたりしない」と変わっていく。
たぶん三章を「他人を拒絶して殻に籠る主人公」と「その主人公と友人になりたくて構い倒す望月」、にしたくて、で、絆されて主人公が殻を破るという構成にするために、荒垣の死のシーンをああいう描き方にしたんでしょうね。理由はもちろん、望月を主人公の大切な友人だと印象づけるため。
そうしないと後の展開が活きてこないから。だから、まあ三章を観た後なら納得します。確かに展開としては自然だから。
でも三章でも天田くんは荒垣さんに対して、許してほしいとは言わない、償いになるかもわからない、というようなことを言うんですよね。
天田くんは、荒垣さんの死をそんなふうに整理したんでしたっけ…?それがちょっと違和感。まぁでもそういう解釈もあるのかな〜。二章もう一回見れば納得するかな。
とりあえず一章は最高だったのでDVD購入済み、あとは最後まで観てよかったら買おうと思ってます。


あ、あとようやくサイコパスの小説全部読みましたよー。
一言、悪趣味。
ツッコミどころ満載だし、暗い&ゲスくて色相濁るんで、あんまりお勧めしません。この色相濁るって言い回し便利だな笑
キャラクターの関係性の描き方はそこそこいいんですけどね。真っ当にお勧めしてもいいのはカガリくんパートくらい。笑
グソンから観た槙島さんが美形すぎて笑ったけどwあの白い悪魔が貴方にはそんなふうに見えていたんですね…。

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