呼び方の話 | ぼやき。

呼び方の話

呼称って親しさが現れますよね。
役職名、苗字、名前、ちゃん付け、くん付け、さん付け、etc…
自分的には名前or愛称で呼ばれるのが好きです。なんか距離が近い感じがして嬉しいから。
ちなみに自分から呼ぶ場合は、同年代ならちゃん付けが多いかなぁ〜。
さん付けとか役職名でも、連呼してたり、声が砕けてたりすることもある。
だから、呼び方も含め、呼称って関係性とか気持ちが出るなー、と思うのです。
人は自分の名前をいっぱい呼んでくれる人を好きになるっていう定説はあながち間違ってないと思います。
あと呼び分けとかも面白い。
高尾くんは、緑くんのことを「真ちゃん」と「緑間」の二通りで呼ぶ分けるんですよね。どういう基準かはまちまちのようですが、基本的に自分に余裕があるときや余裕ぶりたいとき、面白がりたいときは「真ちゃん」、切羽詰まったときや緑くんに張り合う場合には「緑間」かな、と解釈しています。
ちなみにサイコパスだと呼び分けで印象的なのはこーがみさんですかね。狡→宜は基本的にずっと「ギノ」ですが、本編後半、一度だけ「宜野座監視官」って呼ぶんですよ。
思えば、潜在犯を憎む宜野座さんが、狡噛さんには潜在犯に堕ちてもそのままの呼び方を許していたんですねぇ。こーがみさんの方が気を遣って距離を取りそうなくらいなのにそれもなく、案外、立場が変わっても二人はちゃんと友達だったんじゃないか、と最近思います。
と、言うより、宜野座さんは、正直なところ、複雑なところはあっても潜在犯を憎みきれてはいなかったんじゃないかなぁ。だってこーがみさんだけでなく、他の執行官からの愛称呼びも、そのまま受け入れちゃってますし。ギノ、ギノ先生、ギノさん、ガミガミメガネ。何気に一番愛称率高い。
それだけに、宜野座監視官と呼ばれ、こーがみさんに線を引かれたとき、状況のせいも多々ありますが、お互い結構しんどそうだったのが切ないです。
あとは狡→朱は、基本ずっと「あんた」「監視官」「常守」なんですが、最後の最後で「朱ェェ!」って叫ぶのが、唐突だけどいいなと思いました。(まあ、あの場面は、視聴者も朱さーん!?ってなったと思うけど笑 ダイハードか笑)それなのに、映画でまた監視官に戻っちゃってたのが惜しいですよねぇ笑 あれはあれで可愛かったからいいけど。
あと宜→朱は、「君」「貴方」「常守」、1回だけ「常守朱!」。でも、なにげに一番気に入ってるのが、本人がいないところで、彼女を語るときにギノさんは朱ちゃんを「今年就職したばかりの女の子」と表現するところ。ギノさんにとって朱ちゃんってわりと庇護対象なんですよね。むしろ完全に子供扱いをして、一度朱ちゃんに正論でひっぱたかれてますが、本当は心配してたし、守ってあげたかったんだろうな。ただその気持ちは「心配」だけじゃなくて、嫉妬とか羨望とかそういういろんなものが混ざった複雑なものになってるから、難儀で面白い。

なにが言いたいかと言いますと、創作物に関しては、呼称に着目すると、関係性がわりと把握できるということ。
読者が人間関係を把握するのに、呼称は大きなヒントであり、逆に目くらましや伏線にもなり得るんだな、ということ。
を、ちょっと考えてたんです。その考察でしたー。
私は本当に定義付けや分析が好きなんだなぁ〜…。それだけに簡単に定義しきれないものにぶつかると、めちゃくちゃ考察しちゃうんですよね笑

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