パンドラにもほどがある | ぼやき。

パンドラにもほどがある

ノートが好きでした。
特に普通のB5の大学ノートが。
誰でも人生で一度は手にするでしょう。
あのうすーい罫線が入ってるだけのノート。
それこそガリ勉だったので、試験前とかはひたすら問題を解くんですけど、その解法とか答えをノートに書き込んだり、英語の単語の書き取りに使ったり、とにかく使ってた。
そうして山のように積み上がったノートを見て、よし!これだけやったんだから解ける!!と気合いを入れて試験に臨んだりしてました。

…それはいい。
それはいいんですよ。綺麗な思い出です。
問題は、綺麗じゃないほう。
俗に言う黒歴史のほうです。

空想が好き、ノートが好き、絵を描くのも文を書くのも好き。子供時代、パソコンは持っていなかった。と、くれば、もう。
紙の量がすごいことになっていまして。
処分するのも面倒で、ずっとダンボールに封印したままだったんですが、ついに、その封印を解きました。
一言、やばすぎる。
ノートやらスケッチブックやら原稿用紙やら出てくるわ出てくるわ、ほんとやばい。
その容量もさる事ながら、内容もやばい。
心の中で絶叫しながら、とりあえずルーズリーフをシュレッダーへ…。
何がやばいって、そのとき考えてた物語の最新情報が自分の頭の中にまだ残っていること。
それなのに、全然オチは決まってなかったりすること。内容はすごいうやむやで空洞なところ。起承転結もほんとにめちゃくちゃです。
今見ると、もう、ほんと、紙の無駄だなぁとは思うんですけど、子供の頃の自分にとっては、とても必要なことで。こうやって、書いて書いて書いて、どうにか生きてきたんだなぁ、としみじみしてしまいました。たぶん私が生きる上で必要な紙の枚数だったんだよ…。
しかし、そのときはこれを本気で書いていたんだよなぁ、となんだか苦笑します。
今見るとツッコむところしかなくて、本当にやばい。人間、本当にやばいものを見ると、やばいしか言えなくなるんですね。ほんとやばい。
これを見ると、あ、自分少しは書けるようになったのか、とちょっとほっとしたり、逆にこのときのように、熱意とノリだけで話を作ることはきっともうないかなぁ、と思ったりします。
……いや、そんなことないんだろうな。
基本的にノリと勢いだけで見切り発車だったのを、軌道修正する努力をするようになったくらい。
数年後の自分が、今の自分が書いたものを見て、ぎゃぁぁぁって叫べるように、書いていきたいですね。

とりあえず、この大量の紙は、今の自分を構築するのに必要だったもので、しっかり血肉になってることは充分わかったので、がんばって廃棄したいと思います〜。

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