ぼやき。

漢気の話

前に銀魂の近藤さんは部下に心酔される系って話をしたと思うんですが、「男性が格好いいと思う男性」タイプってたまにいますよね。漢気溢れてるタイプ。
別に付き合いたいとかそういうことではなく、憧れ、尊敬、羨望的な、どちらかというとヒーロー扱いで、好きすぎてうっかり真似したくなっちゃう感じの人々。
それこそ、新八くんにとっての銀さんとか、狡噛さんにとっての佐々山さんとかはこの枠かなー。どちらも一生懸命真似しちゃってるのが切なかった。
あとは、狡噛さん自身もこの枠だと思うし、空条承太郎とか、あと普もこの枠だな。笑
なんとなく分析すると、
基本的には弱気を助け、強きを挫く系。
硬派で渋くて、1本筋が通っていて、多少のことでは揺らがないふてぶてしさを持っている。実際、だいたいのことは自分で器用にこなし、常に助けるほうの立場にいる。女性にモテてもモテなくても実はそんなに影響されず、自分勝手に我が道を突き進む。その生き様に周りが惚れこんでついてくる系。
私はいちおう女性なんで、厳密な定義はできませんが、なんとなくこんな感じかなーと。男性の理想の男性ってこんな感じなのかな笑
逆に女性はどうでしょうね?
女性が好きになる女性って、こういうテンプレートは作りにくい気がする。どちらかっていうと女性に嫌われる女性タイプのほうがテンプレートしやすいような。
個人的には、男女問わず、先日述べたとおり、人間として生まれもった弱さや狡さや醜さを抱えながら、葛藤しながら、周囲にも自分にも高潔であろうとする綺麗な人が好きみたいです。
男性はこないだ挙げた感じですが、女性だとリナリーとかゆかりちゃんとかアニスとか。なんだかんだで朱ちゃんも入りました。
初め、全然好きにならなそうだなーと思ったんですけどね。笑
でも朱ちゃんは、すごく格好良いので。
好きな人に縋りたくても、縋らないところとかねー。極論を言うなら、別に全部放り出してこーがみさんについていくことだって出来たのに。でもそれをしなかった彼女が切なくて、格好よくて、悲しい。最後なんかむしろギノさんに譲ってますし。笑
まあ、でも、ギノさんとこーがみさんの別れが、一期ラストのアレじゃあんまりでしたから、宜野座ファンとしては朱ちゃんに感謝なんですが。ギノさんも朱ちゃんも振り回しまくって、こーがみさん罪深いわー笑
ちなみに私は、なんだかんだで、ギノさんと朱ちゃんがくっついてくれたら、心穏やかなのになー、と思ったりしてます。笑
お互い真面目・秀才・天然だし、あと二人ともこーがみさん大好きだし、元カノ同士みたいな雰囲気あるし、心配性と豪胆で噛み合ってるし、けっこうお似合いだと思うー。
正直、朱ちゃんは格好良すぎちゃって、こーがみさんとどうやったらくっつくのか、分からないんですよね…。彼女は、正義とか自分の役目とかそういう大義と、自分の恋心を天秤にかけなきゃいけないときに、後者は取らない気がするんです。ちなみに、それはこーがみさんもギノさんも同様で。
ただ、唯一、朱ちゃんはその天秤を破壊できるキャラクターでもあるんですよね。かつて、ギノさんに突きつけられたこーがみさんと立場とを乗せた天秤を破壊してみせたように。第3の可能性を見つけ出すポジションだから。
周りに希望をもたらすだけでなく、たまには自分もその希望の恩恵にあずかってもいいと思うんですけど……。
ーーあれ、何の話だっけ??笑
いつの間にか、漢気の話から朱ちゃん語りになってる笑
いや、朱ちゃん、すごい漢気ですけどね。
ヘルメットどーんに始まり、「宜野座さん、それ壊れてますよ」の格好良さ、シビュラという悪知恵の怪物との頭脳戦&駆け引き、頭脳・戦闘力最強を誇るこーがみさんを抑えながらラスボス戦に入り、ダイハードも真っ青なカーアクションをもこなしてましたからね…。最近の女の子はすごいな……。

ちなみにその分類でいくと、洪、ミカサ、モルジアナあたりも同類かな…。強くてたくましくてカッコ良くて、でも、好きな人の前では女の子。
あれ、これって、わりと古くからよくあるタイプだ。…物理的な戦闘力とかが増し過ぎててわからなかった…
じゃあこれ、どっちかっていうと漢気っていうより、ふつーにカッコ良い女性ですね笑

美味しいお酒の飲み方

実はけっこう酒飲みです。笑
決して強い方ではないのですが、飲むのは好き。映画観ながら宅飲みもしますが、基本は外飲み派です。会社関連の飲み会も嫌いじゃないですが、仲良い人と2〜4人くらいで飲むお酒が一番好き。
そんな私のお酒の飲み方ですが、まず最初は強い酒にいかないこと。できれば、カルーアミルクとか牛乳系の酒にして、おつまみが来るまではがぶがぶ飲まない。
ゆっくり飲みつつ、おつまみが来て、料理が来て、胃が少し落ち着いたあたりで、好きならだんだん強いものを注文していくとアルコールが回りにくい気がします。
私は基本、和食なら梅酒ロックか日本酒で、洋食ならカクテルか白ワイン。中華なら杏露酒ロックです。
あくまでお酒は添え物ですから、あんまりがぶがぶ飲むものじゃないですが、料理が美味しかったり、話が弾んだりするとけっこう杯が進んでしまう不思議。
で、少しでも飲み過ぎたかなー、と思ったら、すかさずウーロン茶でもオレンジジュースでも水でもいいから、ノンアルコールの水分をがんがん摂っておくべき。気持ち悪くなる前にどんどん水分入れたほうがいいと思います。弱い方はなんなら最初からお酒と同じくらいの量、水分摂るくらいのほうがいいかも。
ちなみに飲み過ぎたときにスポーツドリンクはさらにアルコールの吸収を加速してしまうそうで、NGだそうです。

ちなみに上記は経験則に基づいた私流ですが、基本的にお酒は体質と慣れと体調だと思うので、自分のコンディションを図りつつ、無理せず、楽しく飲むのが一番。
別にビール一杯だって、カシオレ一杯だって、ノンアルカクテルだって、その場を楽しんでるならそれでいいのです。

いや、こないだの飲み会で、仲の良い人が前回潰れちゃってさーって言ってましてね。
どんな飲み方してるのかな、って思ったら、空きっ腹にワインぐいぐいだったので…そりゃ潰れるよ…と。
でも、人付き合いや見栄もあるから難しいんでしょうかね…?でもマジで水は飲んだほうがいいと思う…。

ちなみに、こないだ先輩から新たにブランデーの飲み方を教わりましてね!笑
けっこう大きくて重いブランデーグラスに、お酒はほんの少し。
それをくるくる回しながら、温めながら、ちびちび飲むのがいいんだそうです。
ブランデーってどんなものかと思ってたんですが、甘いお酒なんですね。しかし、強烈なアルコールなので、やっぱりちびちびしか飲めない。笑 結果的に安上がりだそうです。なかなか飲む機会もないけどねぇ笑

連休早かったな〜

ゴールデンなウィークが終わっちゃいましたねぇ。
今年も例年通り、名古屋の先輩のとこに押しかけたり、名古屋で遊んだり、友人とゲームしたり、中学のメンバーで集まったり、いろいろでした !楽しかった!

そうそう、名古屋行ったついでにボストン美術館に行ってきましたよ!久々!!
ラ・ジャポネーズにつられて何気なく行ったんですが、思いがけなく印象派がずらり!笑

ジャポニスムとそれにはまった印象派たちが展示のメインで、歌川広重を中心に浮世絵もざくざく飾ってありました。
浮世絵ってもともとは、西洋に日本から品物を輸出するときに、新聞紙とかプチプチとかそういう緩衝材のような包み紙のような形で使われていたという話ですが、それが西洋で大ブレイク。
ただ浮世絵を収集するだけにとどまらず、ゴッホやモネなど印象派の画家たちが、浮世絵のモチーフとか構図とか色使いとかを西洋画に取り入れていきます。

えーと、浮世絵の革新的だったポイントとしては、
・遠近法や視点の位置に拘らないこと
・大胆な構図(細長い木を中央に配置するとか、アシンメトリだったりとか)
・対比的な色使い

などなど、
これまでの西洋画での基本・制約を覆すような技法が多々使われていたようです。
というのも、たぶん、西洋画って発端が宗教画や王様や貴族のための絵なんで、そもそもめちゃくちゃ制約が多かったんじゃなかろうか…
庭園見てても思うんですが、自然を受け入れ、庭に取り入れる日本式と違い、西洋式はシンメトリーで形式的な遠近法に拘っており、どちらかというと自然と戦い、制圧した感じに見えるのです。
絵画においても、西洋画は人間中心で、事実に忠実に、精密に、写実的に、が基本な気がする。
対して浮世絵は、でかすぎる波に飲まれて船がほとんど見えないみたいな構図だったり、俯瞰で見た景色を表現しようとして人間が点のように描かれたり、とにかく自由奔放。
あと、作品の中に余白を作ることを躊躇わないのが印象的でした!
例えば下の方に街、上の方に山を描きたかったら、真ん中の部分は敢えて雲で覆い隠し、空白にしてしまうとか。すごい省略上手です。
あと写真が面白かったな。印象派が大成してくると、今度は写真の構図が絵画に寄っていったりしたみたい。やっぱり写真と絵画はお互いに影響しあってたんですね。

難しいことはよくわからなかったんですが、改めてモネやばいな、と慄きました。
晩年のモネを映したフィルムが残っていて再生されてたんですが、庭がやばい。
植物といい池といい橋といい、日本庭園をリスペクトしまくり。かなりの大規模で、これもしかして回遊式庭園だったんじゃないの…?
晩年のモネはその庭の池に浮かべた睡蓮を描くことと、庭づくりに時間のほとんどを費やしたそうで。
でもね、睡蓮の絵には、庭の様子はほとんど入ってなかったりするんですよ…?いや、入ってるのもあるかもしれないですが、今回見たのは、水面に映るゆらゆらした影として登場してたりするくらいだったので。ひたすらべたべた、絵の具をいったいどんだけ塗り重ねたんだ、ってくらいに重ねてあって。ただただ光とか水面の動きを追い求めて。
その描かれた作品の枚数と重ねられた絵の具を思うとね。
モネの絵はいつ見ても綺麗で素敵なんですが、やっぱりどことなくゆらゆらしてるんで、ちょっぴり見ていて不安になります。そこが醍醐味なのかな。ルノワールのようにただただ幸せを感じられるだけではないところが。


なんか…最近好きになったキャラクターが、似たような系譜が続いてるような気がしてきました…笑
少なくとも、緑間→花京院→宜野座は、けっこう似た系譜なような…。
真面目で神経質で能力が高めでその分プライドも高く、冷徹に見えるけど、実は情に厚くて優しくて、面倒見も悪くないタイプ。で、その気難しさ、優しさをわかってくれる相棒がいる。
決して主役ではなく、No.2ポジションなのも共通です。
なんか、たぶん綺麗な人に憧れるんですよね。もうちょっと妥協すれば、自分に甘くすれば、もっと全然楽に生きられるのに、それを良しとしない高潔さに憧れます。また望んでそのポジションにいるかどうかは別にして、No.1の存在を受け入れてるところもいいな、と。自分より優れている者がいると率直に認めることができるんですよ。プライドめっちゃ高いのにね。
そんなわけで意外と共通点多かったな、と苦笑です。

パーティのバランス

どうしてもRPG脳なんで、物語の主人公群のことを、私はパーティと呼びます。
このパーティのバランスの良さってとても大事だと思います。
パーティの主要人物を3人に絞るとすると、例えば「精神的支柱」「頭脳労働」「肉体労働」のように、それぞれ役割が違っていたほうがいいと思うのです。
巨人に例えるなら、「精神的支柱=エレン」「頭脳労働=アルミン」「肉体労働=ミカサ」。
マギに例えるなら、「精神的支柱=アリババ」「魔法労働=アラジン」「物理労働=モルジアナ」。
もしくは、「精神的支柱=シンドバッド」「頭脳労働=ジャーファル」「肉体労働=マスルール」
特に、「精神的支柱」は主人公が務めたほうがまとまりが出る気がする。
今年のプリキュアを何回か見ましたが、主人公がいい感じに精神的な支柱になってて良いです。
印象としてはうさぎちゃんに近いかなー。ドジで何かに秀でているわけじゃないんだけど、天真爛漫で素直で人のために一生懸命になれて、誰とでも友達になれちゃうタイプ。
お仲間は、生徒会長と現役モデルでどっちも友達少ないタイプで、だからこそ何の気負いもなく近づいてきた主人公は彼女たちにとって新鮮で、好意とか愛情も強い。
主人公を中心にすごくまとまっているんですよ。可愛い。やっぱり「初めての友達」要素には弱いなぁ笑。

ちなみに性格的にバランスの良い3人組の例として、「真面目」「軟派」「天然」という組み合わせも多いですよね。
プリキュアの例でいくなら、
「真面目=みなみ」「軟派=きらら」「天然=はるか」。
悪友トリオなら、
「真面目=普」「軟派=仏」「天然=西」。みたいに。

なんにせよ、被る要素は少ないほうがいい。人ばっかり増えて間延びするから。
だから、できるだけ被ることなくいかに要素と能力を振るかって話になるんじゃないかなー。
ちなみにまどマギは5人ですが、みんなそれぞれ主義主張性格がバラバラで、とてもバランスが良いと思います。
サイコパスはどうかな…
「システムを順守する者=宜野座及び一般人」
「システムから逸脱した者=狡噛及び潜在犯」
「システムと渡り合う者=朱・槙島」かな…

呼び方の話

呼称って親しさが現れますよね。
役職名、苗字、名前、ちゃん付け、くん付け、さん付け、etc…
自分的には名前or愛称で呼ばれるのが好きです。なんか距離が近い感じがして嬉しいから。
ちなみに自分から呼ぶ場合は、同年代ならちゃん付けが多いかなぁ〜。
さん付けとか役職名でも、連呼してたり、声が砕けてたりすることもある。
だから、呼び方も含め、呼称って関係性とか気持ちが出るなー、と思うのです。
人は自分の名前をいっぱい呼んでくれる人を好きになるっていう定説はあながち間違ってないと思います。
あと呼び分けとかも面白い。
高尾くんは、緑くんのことを「真ちゃん」と「緑間」の二通りで呼ぶ分けるんですよね。どういう基準かはまちまちのようですが、基本的に自分に余裕があるときや余裕ぶりたいとき、面白がりたいときは「真ちゃん」、切羽詰まったときや緑くんに張り合う場合には「緑間」かな、と解釈しています。
ちなみにサイコパスだと呼び分けで印象的なのはこーがみさんですかね。狡→宜は基本的にずっと「ギノ」ですが、本編後半、一度だけ「宜野座監視官」って呼ぶんですよ。
思えば、潜在犯を憎む宜野座さんが、狡噛さんには潜在犯に堕ちてもそのままの呼び方を許していたんですねぇ。こーがみさんの方が気を遣って距離を取りそうなくらいなのにそれもなく、案外、立場が変わっても二人はちゃんと友達だったんじゃないか、と最近思います。
と、言うより、宜野座さんは、正直なところ、複雑なところはあっても潜在犯を憎みきれてはいなかったんじゃないかなぁ。だってこーがみさんだけでなく、他の執行官からの愛称呼びも、そのまま受け入れちゃってますし。ギノ、ギノ先生、ギノさん、ガミガミメガネ。何気に一番愛称率高い。
それだけに、宜野座監視官と呼ばれ、こーがみさんに線を引かれたとき、状況のせいも多々ありますが、お互い結構しんどそうだったのが切ないです。
あとは狡→朱は、基本ずっと「あんた」「監視官」「常守」なんですが、最後の最後で「朱ェェ!」って叫ぶのが、唐突だけどいいなと思いました。(まあ、あの場面は、視聴者も朱さーん!?ってなったと思うけど笑 ダイハードか笑)それなのに、映画でまた監視官に戻っちゃってたのが惜しいですよねぇ笑 あれはあれで可愛かったからいいけど。
あと宜→朱は、「君」「貴方」「常守」、1回だけ「常守朱!」。でも、なにげに一番気に入ってるのが、本人がいないところで、彼女を語るときにギノさんは朱ちゃんを「今年就職したばかりの女の子」と表現するところ。ギノさんにとって朱ちゃんってわりと庇護対象なんですよね。むしろ完全に子供扱いをして、一度朱ちゃんに正論でひっぱたかれてますが、本当は心配してたし、守ってあげたかったんだろうな。ただその気持ちは「心配」だけじゃなくて、嫉妬とか羨望とかそういういろんなものが混ざった複雑なものになってるから、難儀で面白い。

なにが言いたいかと言いますと、創作物に関しては、呼称に着目すると、関係性がわりと把握できるということ。
読者が人間関係を把握するのに、呼称は大きなヒントであり、逆に目くらましや伏線にもなり得るんだな、ということ。
を、ちょっと考えてたんです。その考察でしたー。
私は本当に定義付けや分析が好きなんだなぁ〜…。それだけに簡単に定義しきれないものにぶつかると、めちゃくちゃ考察しちゃうんですよね笑

Falling Down

ようやく3章観てきました。
正直2章の映画の描き方にちょっと違和感を覚えてたので、3章どうなるかなぁ、と思ってました。
結論ーー悪くはない。
悪くはないけど、すごいよかった!!とは言えなかったなー。
尺の使い方が勿体無い。
秋は一応物語の”転”にあたるわけで、おいしい泣かせどころもいっぱいあるのに、ちょっと望月くんと主人公のほのぼのパートに尺取りすぎで、大事な部分が余韻ほぼ無し。すごく淡々としてしまってる気がする。そこはもっとゆっくりやろうよ…。理事長とお父様のシーンはもっと大事にしようよ…。誰も得しないけどさ…。
まぁ、望月くんと主人公の組み合わせは、当時の大きいお姉さま方の最大手でもありましたし、ファンサービス的な意味で仕方ない所もあるでしょうけど。
そのせいかほのぼのパートは可愛かったです。望月→主人公を後ろから追跡するアイギスという図式も理想的でしたし、修学旅行も原作より楽しそうでしたし。
あと残すは12月と1月。たった2ヶ月。ラストはどうなるかなぁー。


通章のネタバレしますが、違和感の話を書いとくと、
一章では「何もかもがひたすらどーでもいい→仲間大事だ」と変化した主人公が、二章で「仲間大事だしこの時間が楽しい→終わってほしくない」に変化する。
で、その終わってほしくない気持ちが主人公の行動を鈍らせ、パーティの足を引っ張り、結果的に荒垣救助に間に合わなかった。
荒垣の死の責任が主人公にのしかかってきちゃうわけです。
だから、三章は、「俺のせいだ、もうこんな想いをするのは嫌だ、これ以上入れ込みすぎず、大事なものを増やさないようにしよう」→「失っても絆は残る、大事なものがあるから戦える、絆から目を背けたりしない」と変わっていく。
たぶん三章を「他人を拒絶して殻に籠る主人公」と「その主人公と友人になりたくて構い倒す望月」、にしたくて、で、絆されて主人公が殻を破るという構成にするために、荒垣の死のシーンをああいう描き方にしたんでしょうね。理由はもちろん、望月を主人公の大切な友人だと印象づけるため。
そうしないと後の展開が活きてこないから。だから、まあ三章を観た後なら納得します。確かに展開としては自然だから。
でも三章でも天田くんは荒垣さんに対して、許してほしいとは言わない、償いになるかもわからない、というようなことを言うんですよね。
天田くんは、荒垣さんの死をそんなふうに整理したんでしたっけ…?それがちょっと違和感。まぁでもそういう解釈もあるのかな〜。二章もう一回見れば納得するかな。
とりあえず一章は最高だったのでDVD購入済み、あとは最後まで観てよかったら買おうと思ってます。


あ、あとようやくサイコパスの小説全部読みましたよー。
一言、悪趣味。
ツッコミどころ満載だし、暗い&ゲスくて色相濁るんで、あんまりお勧めしません。この色相濁るって言い回し便利だな笑
キャラクターの関係性の描き方はそこそこいいんですけどね。真っ当にお勧めしてもいいのはカガリくんパートくらい。笑
グソンから観た槙島さんが美形すぎて笑ったけどwあの白い悪魔が貴方にはそんなふうに見えていたんですね…。

ごまかすことに慣れてしまいたくないから

自分を強く持っている人はかっこいいと思う。
けれどもそれは、どんな状況に立たされても、陰口を言われようとも、何ら言い訳したり媚びたりすることなく、主張を貫ければの話だ。
もしくは、自分の主張が通るように、周りに手を回して状況を整えるか。
その覚悟がなければ、それは主張ではなくただの我儘だと思う。
そして、そういう覚悟を持って主張するからには、その意見はきちんと自分の中で整頓し、ある程度の否定や他の意見も考えた上に存在するものでなければならない。

…と、思っていたりする。
ちなみにこの段階まで行かずにぽんぽんアイディアを出していく段階は、話し合い、雑談、お喋り、ブレインストーミング、いろいろ言い方はあるけど、そういうもの。

だから、主張、断言には、それなりの責任を持つべきだと思うんですよねー。(ちなみにこれ、けっこう自罰的な訓戒だったり。 後で見返して呻くために、書いておきます)

例えば「まずい」とか。
P4の女性陣が生み出したムドオンカレーみたいに、明らかにやばいものを除いて、おいしい、まずいを判断するのは、自分という主体ですよね?
何百万円のワインは、ワインに対して味覚が研ぎ澄まされた人が飲めば極上でしょうけど、普通の食生活してる人からすると美味しいとは思えないんじゃないかな。
そして、当然味の好みもある。
だから、おいしい、はともかくまずいってなかなか勇気のいる言葉だなと思うのですよ。自分の舌の公平性を試されてる気がするというか。

……いや、考えすぎですね、すみません。笑
なんだか疲労してしまって(^^;;
なんだろうなぁ、主体的な意見も大事なんだけどそればっかりになったらいけないよね。どちらかというと主体に偏りがちですが、でも他の人から見た意見だってちゃんと聞かなきゃいけない。それこそ反面教師ですなー。

ちゃんと自分で考えたいし、自分で行動したい。
そのために、人の意見はいっぱい聞いておいた方がいい。
気に触る言葉もちゃんと自分流に翻訳できるようになりたいものですな。いちいち腹を立てるんじゃなくてさ。笑

悪役談義

大型ファンタジーには、悪役の存在が欠かせませんよね。
ツイッターで悪役のカテゴライズが流れてきていてちょっと面白いなと思いまして。

ラスボスの傾向が年代によって、
世界征服→世界滅亡のち再建→世界に対する復讐→自分の目的を追求した結果の世界危機
と変わってきている、みたいな内容だったんですね。

私はかなりファンタジーを摂取してきた方だと思いますが、魅力的な悪役ってなかなかいない。
その中で印象に残った悪役について考えてみたいと思います。

志々雄真
言わずもがな、るろ剣京都編のラスボス。上の分類で行くなら、世界征服タイプですね。
野心家で好戦的で、圧倒的なカリスマを持ち、その力でのし上がっていくこと、他人を踏みつけていくことにまるで躊躇いがない。
あの京都編ラストの髑髏の山を歩きながら高笑いするシーンは、格好良すぎて一生忘れないと思います。


サカキ
お馴染み初代ポケモンロケット団のボス。ただしゲームやアニメではなくポケスペ版。
この人は、分類するなら、一応自分の目的を追求した結果の世界危機、になるんでしょうかね?目的のある世界征服?まあそれはおいといて。
基本的にポケスペは子供向けの作品ですが、その中でロケット団は徹底的に悪として描かれます。
ポケモンを生体実験したり、売り買いしたり盗んだり、トレーナーを攫ったり襲ったり。そのロケット団を見事に体現した三巻のバトルは印象的です。ポケモンってこんな怖い使い方できるんだ、と。スピアーの毒針を首に突きつけられたりとかね…。
子供相手にも全く容赦せず、圧倒的な力の差と余裕、主人公は実はこのボスの掌で踊らされていたという策略、その上で、主人公の力を認め、全力で勝負してくれる。


槙島聖護
最近、ハマったサイコパス一期のラスボス。この人は完全に自分の目的を追求した結果の世界危機、ですね。それ故の怖さ。
だって、この人は、ただ人間観察がしたいだけですから…。
シビュラシステムが作った滅菌室のような世界で家畜のように生きている人間を、人間らしく解放してその様を観察したい。
その人間らしくが、闘争だったり暴力だったりするわけで。
ちなみに彼はその混沌とさせた世界を上から眺めたいわけではなく、自分も参加したいという大変好戦的なタイプです。
美形で華奢で教養があって、いつも穏やかにニコニコ笑ってるのに、油断した瞬間、暴力を叩きこんだりもする。誰がどんなに凄惨な死を迎えようと、それを引き起こそうと、まるで心を痛めない。だって観察対象だから。

ちなみに、志々雄さんやサカキさんが、見ているとヒートアップしていくタイプであるのに対し、槙島さんはぞわっという無気味さが先立ちます。
この3人は望んで、むしろ嬉々として悪役やってるタイプですが、
戦争ものの別陣営とか、元々背負ってる運命とかで、本当は戦いたくないけど、戦うしかない、ってタイプの悪役も好きです。それだと悪役というより敵役ですね。
あとはキュウベエのような自分の理解が及ばない地球外生命体かな…。

こうやって書き出すと、私は自分を貫くタイプの悪役が好きなんだなぁ。あと演出もかなり重要。

うん、なんか悪役の概念が整理できた気がします。

お前、胸張って生きろよ

進撃の巨人、ようやく読みました。
すごく負の引力の強い作品だな、とやっぱり思いました。
絵は荒いんだけど、話の精度はすごい。気持ち悪いくらい精密に細部まで、きっときっちり練ってあるんだろうな…

この作品、前々から人間ドラマが素敵だなと思ってたんですよね。
エレン・ミカサ・アルミンの幼なじみ3人組の関係とか、とてもいいと思う。エレミカも好き。
でも今回、初めて最初から12巻まで読んで、ユミクリにびっくりしましたね。

ユミクリ、世間でけっこう百合百合騒がれてたと思うんですけど、個人的には全然そうは思ってなかったんです。
ユミルからクリスタへの物言いって、基本的に辛辣で、「いい子」のクリスタを嘲るような調子が多かったから。痛ぶるのを楽しんでいるというか、面白半分に仮面を剥がして自分の土俵まで引き摺り下ろしたいように見えてたんですね。そこに好意を感じなかったから。

…そんなことなかった、ユミルさんごめんなさい。

すごい大きな愛でした。
あの地獄絵図の中での相思相愛っぷりがすごかったです。
皮肉屋でいつも飄々としてるユミルが、最後にクリスタに会いたいと泣いちゃうほど…。
いつもいい子でいなきゃと怯えているクリスタがすごいポーズで檄を飛ばすほど…。
そして、あれは、ユミルはクリスタを逃すために、自らの命を敵に差し出した形ですよね。女神様も悪くないじゃないよ。
もう、これは、本当に最期の別れなんじゃないだろうか…切ない…こんな別れ方でクリスタは大丈夫なんだろうか…いやたぶん大丈夫じゃないよね。
そして改めてほんと人間側も巨人側も不穏極まりない話ですね。目が離せない…。


あ、ネカフェに行ってきたんですよ。
なんか改めてネカフェっていいなって思いました。5時間1000円で場所貸してくれるんだー。
集中したいときにはもってこいですね。

良いこと悪いことは交互ですね

ストレス耐性が低いんだと思うんです。
最近キャパオーバーがすごく早くて、なんでだろって思ってたんですけど、仕事の容量というより、ストレスによる圧迫のようですね。
小心者だから、けっこう前もって仕事したい派なんだけど、ギリギリ派の上司とうまく噛み合ってないのかもしれない。
で、たぶん案外顔に出てる笑
一緒に仕事していくんだから、嫌な印象抱きたくないのに、ふっとよぎるのは斡由だったりするからなー笑
けっこう斡由って多いのかも。
私は斡由にはなりたくないけど、危ないなってときは正直ある。斡由になる瞬間がある。

同僚に気になってたことが聞けて、すっきりしたり、失言で真っ青になったり。

真面目すぎ、頭硬すぎ、とよく言われるけど、ほんとそうだと思う。
もうそろそろ、柔軟性や妥協の仕方が身についてもいい頃なんだけどなー。
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